まいぶー(3回目)のレポート

大会へのいきごみ

 2007年にも長崎に行ったので、そのときに気付かなかったことや学べなかったこと、そして今年新しく学ぶこと、たくさん吸収して成長して帰ってくるぞ!

分科会の感想 ―青年のひろば/被爆者訪問に参加―

 8月8日、長崎市内の会場に被爆者の方をはじめとして、静岡、千葉、徳島、北海道...と全国から同世代の若者12人が集まりました。

 お話をしてくれたのはTさん。現在81歳のお喋り好きなおばあちゃんでした。戦争のことを学びたいと思う若者に話して聞かせることが未来への責任だと考え、3年前から自身の戦争体験を話すようになったそうです。

 Tさんは、昭和3年に生まれ、東京で育ったそうです。1945年3月10日の東京大空襲を経験した後、同年7月に親戚を頼って30時間かけて長崎へ疎開してきたそうです。長崎へ着くと、お米もじゃがいももたくさんあり、空襲もなく極楽だったそうです

 長崎に原爆の落ちた8月9日は水の浦部という、爆心地から3km離れた友人の家にいて、室内で被爆したようで、外傷はなかったそうです。4つ下の弟は工業の学校にいる所で被爆し、外傷と心の傷とで数日間寝込んでしまったそうです。家に帰る途中で会った友人2人はそのときは元気だったものの、1週間経つと次々に息をひきとったそうです。

 現在Tさんはお元気そうに見えるものの、6つの病気をかかえており、64年経った今でも、原爆の傷は癒えていないことを教えられました。

 最後に、Tさんの言葉で、「8月8日というのはね、今日は元気に生きてきた友人が一晩寝て起きた9日に突然死んでしまったんだということを考えさせられる日なんだよ」と仰ったことが胸に響きました。

 体の傷も心の傷も、何年経っても消えないつらさをTさんに学びました。お話が聞けて良かったです。

3日間の感想

 二度目の長崎ということだったけど、前回は行けなかった一本柱鳥居や、如己堂、8月9日に全校集会を開いていた山里小学校にも行けたし、閉会総会で会場がひとつになって平和のうたを歌う力強いものも見て、体験することができました。

 8月9日11時02分は大勢の人と原爆投下中心地で迎えられました。

 亡くなられた方のことを想いながら、こんなにたくさんの人が平和を願っていることを実感しながら黙祷していたら、自然と涙が出てしまいました。

 こんな経験も初めてで、自分自身びっくりしたのですが、長崎に来られて良かったと心から思うことができました。

らぶぴ〜に参加した感想(カンパ集めなどのとりくみを通して)

 今回の参加者は7人だけでした。例年の半分ほどの人数だったこともあって、やっぱり寂しい気持ちもあったけど、長崎に向けての会議やしおり制作など、人数が少なかったからこそ、全員が責任をもって、一致団結して長崎での世界大会を迎えられたように思います。

 カンパ活動では、貯金額が少ないことを全員が認識したうえでがんばることができました。カンパにご協力いただいた方には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。これからの応援も、どうぞよろしくお願いいたします!!

まいぶーの平和宣言!!

 こんなに、こんなにたくさんの人が世界の平和を心から願ってれば、きっと...きっと!本当の平和がやってくる。そう願って、核兵器のない平和な世界までカウントダウン...3,2,1...zero!!!

何かひとこと

核を許すまじ であって、アメリカを許すまじ ではない!
にくむ相手を間違っちゃいけないんだよね...。